佐世保市の旅

長崎の旅、連載2回目は佐世保市の様子をお伝えします。

小値賀から船で戻ったのは夕方。ホテルにチェックインし、その日は解散となりました。メンバーたちはツアー中、毎晩欠かさず飲み歩いています。以前は私もツアー毎に一度くらいは参加していましたが、リーダーがいる飲み会ほど無粋なことはありませんので、今では金は出しても顔や口は出さない主義を貫いています。

ホテルでメンバーを送り出し、ひとりになったところで、初めて訪れた佐世保の街を歩いてみました。佐世保と言えば佐世保バーガー。夕食抜きの生活に慣れたので空腹は感じないながらも、もし店があればひとつ頬張ってみようと意気込んだものの、そんな時に限って縁がないものですね。結局財布を開くこともなくホテルに戻り、ロビーで売っている100円コーヒーでリラックス。我ながら経済的な旅です。

翌朝はまず県立の特別支援学校へ。私たちはすべての子供たちに同じように音楽に触れて欲しいと考えていますが、私たちが気付けないデリケートな配慮が必要かもしれないと思い、先生方とよく打ち合わせをしました。先生方は「皆とても楽しみにしているので、手加減なくいつも通り演奏して欲しい」と言ってくれ、更には「演奏の邪魔になるような失礼があったら申し訳ない」と、私たちへの気遣いまで見せてくれました。もちろん私たちは皆さんそれぞれの楽しみ方をしてもらえれば嬉しいですし、仮に何かがあっても大丈夫です。

この演奏会では、ちょっとしたハプニングがありました。ステージではなく、子どもたちと同じフロアで演奏したのですが、ピアノソロの時にひとりの子どもが急に駆け出し、シューマンを演奏中だった米津真浩に強く抱きつきました。先生が慌てて後を追い、その子を引き離そうとしたのですが、米津はそっと「大丈夫ですよ」と声を掛け、そのままの姿勢で弾き続けたのです。米津もさぞや動揺したに違いないのに、音を一切乱すことはありませんでした。舞台裏で出番を待っていた共演者たちも、まったく気づかなかったそうです。私は一部始終を見ていて、音楽の持つ力と米津の度量に感服。このハプニングは音楽会の方向を更によい方へと導き、喜びに溢れた素晴らしい時間へと昇華したのです。

午後からは大塔小学校へ。新たに開発が進む佐世保のニュータウンにある在校生の多い学校なので、子どもたちも現代っ子かなと想像していましたが、素直で明るい子たちばかりでした。そういう学校は、先生方も明るく元気です。朝から暑い一日でしたが、午後から更に気温が上がり、体育館は蒸し風呂のよう。私は鈍いので全く平気なのですが、共演者たちはあの手この手で涼を求め、ステージにも扇風機を設置。私は寒いくらいでした。

久しぶりの1日2回演奏は、今の私にとっては楽ではありません。横浜オペラの余韻が続く中、慌てて支度をして九州へ来て、あっという間に折り返し。あと3ステージ頑張るために、早めにベッドに入ることにしました。その前に、大好きな野口製麺の品をメンバーに土産として持たせてやりたいと思い、数少ない取り扱い店舗へ散歩がてら行きました。ところが人気があって残りが少なく、全部買い占めたものの土産と言うには少々寂しい量しか配れず。まあ、気は心ということで。

佐世保市2日目は、吉井中学校からスタート。校舎は佐々川に面しており、風光明媚なリバーサイド校です。その佐々川の河原には、小値賀の海岸で見たようなポットホールがあり、公園として整備されています。ステージ準備の間、ちょっと抜け出して、周辺の雰囲気を味わいました。

学校に戻ると、美しいサクソフォーンの音色や、ショパンのピアノ曲が体育館から聞こえて来ます。ふだんは牧歌的なこの環境に音楽が加わると、思わず心が踊り出します。そしてこちらの体育館の響きの深いこと。ゲートエコーが掛かっているような響き方で、よほどクリアな弾き方を心掛けないと、音楽が濁ってしまいそうでしたが、ピアノの音はコンサートホールのように増幅され、一番後ろまで綺麗に飛んで来ました。このように学校ごとにピアノの状態や体育館の響きが大きく違うので、否が応でも感覚が研ぎ澄まされます。

また、このチームで訪問するのはこれまで小学校が多く、中学校は久しぶりです。一年生と三年生には大きな差があるので、何かと気を遣うこともありますが、この日は、さすが中学生と思える賢そうな表情で聞いてくれていたのが印象的でした。

午後からは小佐世保小学校を訪ねました。こちらの体育館もユニークな響きで、残響が3秒以上あったかと思います。体育館の上に屋外プールが設けられているために、特殊な屋根なのだとか。確かに洞窟のような響きにも感じます。

アンサンブルも3日目となると絶好調。演奏中の音楽での対話が増え、それが聞き手に伝わり、反応にも違いが出てきました。やっとこのメンバーでのアンサンブルらしさが整って来たところで、もう次が最終回。終演後は佐世保を後にして長崎市内へと向かいました。今回の旅で一番滞在が長かったのに、何も見ることができなかった佐世保。ぜひまた再訪したいものです。

続く