ますや旅館 Touson Room |
|
Masuya Ryokan |
2009.10.19(月)
|
長野県小県郡 |
楽-5
|
|
|
里山の一夜 | 上田駅より、バスであれば青木村の中心で乗り継いで、やっとたどり着く小さな温泉郷、田沢温泉。いくつかの湯宿が点在するが、夜店や歓楽街などはなく、どこまでも素朴で穏やかな表情だ。 川沿いにある石畳の坂を少々上がると、ますや旅館が見えてくる。歴史ある古い建物は、もはや風情を通り越し、かといって何ら威圧するでもなく、静かに佇んでいる。 ガラスをはめた木製の扉をガラガラと引き、石の玄関に足を踏み入れると、まるで由緒ある寺を訪ねた時のように、一瞬きゅっと気持ちが引き締まる。 履物を脱ぎ、板床のロビーへと進む。そこには古びた調度品にまじって、往年の映画スターたちの色紙が陳列してある。この宿が醸す独特の雰囲気を求め、映画のロケが盛んに行われたり、あるいは忍び客も絶えないと聞くが、このロビーにいればそれも納得だ。 法事を待つような緊張感は、宿の主人が現れて一瞬にして吹き飛んだ。建物が持つ荘厳さとは対照的に、人情味あふれ、ホスピタリティ精神旺盛な主人には、人を瞬時にくつろがせる秘密の業が宿っているよう。女性の係たちは素朴で親しみやすい。初めて訪れた気がしないのは、こうしたもてなしの気持ちと、宿そのものに染み込んだ逗留客たちの気質からかもしれない。 早速案内されたのは、この宿自慢の「藤村の間」。その名の通り、藤村がまだ無名時代に逗留した由緒ある部屋だ。ここはロビーから専用の階段をのぼりつめたところに位置し、同じ館内にありながらも独立した感じがあって、ちょっとした離れのような造りになっている。 二間続きの角部屋で、事実上専用のトイレと洗面所を有し、繊細な意匠の欄間や、箔張りがくすんだ襖など、時の流れをしみじみと感じさせる内装だ。そして藤村も使ったという机や箪笥もあり、それらに手を触れれば往時に気持ちが舞い飛んでいく。 館内には男女別に温泉浴場が設けられている。屋内浴場には露天風呂も併設され、深まる秋を感じながらの長風呂は最高の気分。そう、ここの湯はぬるい。そのぬるさゆえに、いつまででも入っていられるが、それでいてしっかり芯まで温まる。無色透明のサラッとした湯だが、ほのかな硫黄のかおりが、まさに温泉らしさを感じさせる。大浴場のほか、小さな家族風呂もふたつ用意され、これらすべては源泉掛け流しとのこと。 これら温泉浴場までは、館内の複雑な廊下を進んでいくのだが、その間にも風雪に耐えた建物の温もりに包まれ、何とも言えない気分になる。そして、館内の徘徊は夜がいい。ぼんやりとした灯に照らされた床や壁が、その光を反射する様は幻想的である。 夕食は地のもので揃えている。山で今日採れたばかりという桶いっぱいのキノコ。そこには極太の松茸もある。鹿肉は軽くバターでいためて。鯉のあらいは少しも臭みがない。どれもヘルシーで、腹いっぱい食べてももたれないのがいい。 こんな静かな宿では、夜も早くに更けていく。いつもより早く床に着き、目を閉じながら五感を解き放ってみる。すると、さまざまな音が聞こえてきた。川のせせらぎ、風の音、獣の声まで。それらは大昔から変わらずに、ここに響いてくる音たちなのだろう。 深夜になると風は強風に変わった。ガラス戸に吹き付ける風が、カタカタと音を立て鳴らす。荒れた天気は人の心を掻き乱し、不安を煽るものだ。午前4時。まだ夜明け前だが、起き上がることにした。24時間使える風呂へ行ってみた。露天風呂は強風で飛ばされてきた落ち葉でいっぱいだ。湯船に半身浸かりながら、落ち葉をまとめて遊んでみた。掃除も兼ねて一石二鳥である。 やがて夜が明け、朝食。素朴な献立に日本の朝を感じる。風もやみ、今度は鳥たちのさえずりが賑やかだった。窓からの眺めは、どこにでもありそうな日本の風景。なのに、こうした眺めをしみじみ見る機会は少ない。気がつけば、24時間もの間、音楽とは無縁であった。たまにはこんな一日もいいものだ。 |
|
|
ますや旅館(公式サイト) | |
以前のレビューはこちら→ | 初登場 |
|
|
公開中リスト | | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | |
| ホテル別リスト | レストラン別リスト | 「楽5」「喜5」ベストコレクション | | |
|
|
|