この日、締め切りを過ぎた作品を何が何でも仕上げようと、ひとりで集中できる環境を求めてパレスホテルを予約。落ち着いたたたずまいと、丹精なサービスに囲まれれば、安心して仕事ができるだろうと期待を寄せてチェックインをした。
アサインされたスタンダードダブルルームは、約30平米の面積があり、窓のほうを向いた160センチ幅のベッド、ふたつのアームチェア、ライティングデスクとテレビキャビネットがレイアウトされている。よくまとまっているので、使い勝手はよかった。窓は二重構造になっており、騒音をシャットアウトしてくれるが、裏向きの客室なので窓からの眺めに面白みはないし、隣接するオフィスビルからの視線を気にする必要があった。しかし、裏向きの客室は、もっと隣のビルに接近して悪い眺めなのかと想像していたので、思っていたよりも開けた景観に感じられた。
とはいえ、パレスホテルに泊まるなら、やはり皇居を望む向きに限る。室内はレイアウトこそ少々変わっているが、設備としては標準的なホテルルームという感じ。それを他とは違った印象にさせているのは、照明効果によるところが大きい。別段変わった器具を入れているわけではないが、スタンドもナイトランプもすべて100ワットの白熱電球を使用し、加えてハロゲン光のダウンライトが設置され、室内は非常に明るく、あたたかみのある雰囲気だ。家具もしっかりとした素材で造られており、それぞれに存在感がある。
清掃にも心を込めたことが伝わるのだが、残念だったのはいくつかあるダウンライトの汚れだった。目線よりも下のものには、隅々にまで気を配って清掃されているものの、天井の電球や空調の吸い込み口の汚れには無頓着であるようだ。ベッドに横になったり、アームチェアに深く腰掛けて天井を見れば、いやでも目に入るダウンライト。なにか科学雑巾のようなもので、毎日軽く埃を払えば清潔に保てるのではないだろうか。
バスルームそのものは、とてもコンパクトなサイズだ。白いタイル張りの空間に、トイレ、ベイシン、バスタブが並んでいるが、ゆとりはまったくといっていいほどない。バスルームの手前には、ドレッサーコーナーがあり、三面鏡やスツールが設置されている。クローゼットも同じ場所にあるが、ここも含めてバスルームを広く取れれば、なお快適になるだろう。アメニティはきちんと整列して収められており、このあたりにも、パレスホテルの生真面目さを垣間見ることができる。
クローゼットに用意されたバスローブやスリッパにはビニールがかぶせられ、清潔感もひとしおだ。その一方で、トイレの流れがいまひとつスムーズではなく、いつぞやのヴィラフォンテーヌ大惨事の前触れと同じような状態だったので、流すたびに恐る恐るになってしまった。また、カランの水圧が低く、バスタブに湯を張るのに随分と時間がかかっただけでなく、せっかく用意されているバブルバスがまったく泡立たなかった。
仕事の時は、いつも大量のデータの送受信を伴うので、高速インターネット接続が欠かせない。パレスホテルでは1泊500円で利用でき、3泊以上なら1,500円と有料ながら比較的リーズナブルだ。しかし、以前利用した際も接続が確立できずに、結局使えなかった経験がある。そして、今回も接続が確立することはするのだが、時折勝手に切断されてしまい不安定な状態が続いた。
しかし、ある時を境に、まったく接続されなくなってしまった。フロントに申し出て別の接続キットを持ってきてもらったが、それでも解決しない。こうしたトラブルは、明らかに目に見える事柄と違って、原因を究明し、適切な対処をするのが難しい。それは理解できるが、今回の事態に対するホテルの対応には、落胆させられるどころか、その不親切で他人事のような対処の仕方に怒りを感じた。
接続が確立できなくなってから、何度もフロントやビジネスセンターと客室を往復する必要があったが、その時すでにこちらはタイミング悪く体調を崩し始めており、そうこうしているうちに熱は39度を超えてしまった。次第に朦朧としてくるし、締め切りのプレッシャーは深まるのに、ホテルの対応が冷淡とあっては、情けなくて笑いが出てくるほどだ。発熱でつらいから早く解決したいと口に出して伝えているにもかかわらず、フロントで対応した者たちは体調を気遣う言葉のひとつも掛けてくれなかった。
自ら原因を突き止め、解決策を見つけて、やっと自分の客室に戻って作業を再開できたのは、深夜2時を回っていた。結局、問題があったのは接続キットであった。このホテルの責任者の一人がとあるインタビュー記事で、高速インターネット接続に関しては、トラブルがゼロで、いまだかつて苦情もないと豪語していたが、これほど問題が多いのに、そのようなことを平然と語るとはまったく信用ならない。
今回、問題は解決できたが、ホテルの対応によって植えつけられた不快感はぬぐうことができないまま。とは言え、やるべきことは終わらせなくてはならない。気分を入れ替え、急ぎの作業に取り掛かった。すると程なくして客室のドアチャイムが鳴った。ドアスコープをのぞくと、ホテルスタッフが一人立っていたので、扉を開けた。若い女性の係は、冷えピタシートを手渡し、「頑張ってくださいね」と言葉を添えてくれた。これにどれだけ救われたことか。マネージャーや先輩たちが、態度を硬直させて、まったく解決できなかったことを、経験の浅い若いスタッフが、ちょっとした気遣いによってほぐしてしまった。上司たちは、彼女から学ばなくてはならない。
この日の出来事は、とあるVIPの口添えで、総支配人の耳に届いた。すると、総支配人から、すぐさま丁重な対応があり、こちらもその気持ちを汲んで当日の憤りを払拭することができた。こうした対応さえあれば、何ごともなく利用している時に比べて、一層愛着がわき、結果的にはそのホテルのファンになってしまうことも少なくない。マネージャーや総支配人が、ゲストの理解を求めるために積極的に行動できるホテルは、長い付き合いをする価値があると言えるだろう。
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