岐阜での公演は何度目かだが、滞在するのは初めてだった。プロデューサーが用意したホテル330グランデ岐阜は、JR岐阜駅から徒歩で数分のところにある。タクシーに乗るには申し訳ない距離だが、大きな荷物を持って歩くには少々遠い。しかも、駅前の交差点は不親切で不便な地下道を経由しなくては横断できず、ホテルに着く数分の間にヘトヘトになってしまった。ホテル330グランデ岐阜のチェックインタイムは午後3時と遅めだ。しかし、プロデューサーがあらかじめ連絡を取り、到着したらすぐに客室を使えるようにしてあった。
通りに面したエントランスに車寄せはなく、注意していなければ通り過ぎてしまうかもしれないほど、グランデと名前のつくホテルにしては小ぢんまりとしたエントランスだった。ロビーもまた小さく、その一角には唯一のレストランがある。小さいながらもシャンデリアや大理石の床、さまざまな絵画にオブジェなど、アメリカンタッチのアートでコーディネートされた空間は、本来ならば上品な感じがするのだろうが、パウチ加工したポップ調の案内があちらこちらに掲示され、雰囲気を相当に壊している。これもセンスの問題だ。フロントの対応は親切を心がけているといった印象で、悪いものではなかった。だが、それも束の間の印象だった。
ルームキーを受け取り、客室へと向かった。客室は全員最上階で、お互いに近い客室が用意された。カードキーをエントランスに差し込むが、何度試しても赤ランプが点灯しエラーになってしまう。諦めずに試し続けると時折緑ランプが点灯して鍵が解除された。しかし、扉がことのほか重く、どうも不自然な感じがしていた。内側から掛けるロックも異常に固かった。荷物を置いて食事に出掛け、再度部屋に戻った時も状況は同じだったが、単に固いだけだと思いつつ何度も出掛けたり戻ったりを繰り返していた。
しかし、ある時、粘り強くカードを差し込み直し続けても一向に赤ランプという状態が続いた。ふとした拍子に扉の取っ手を持ってみたところ、するりと扉が開いてしまった。キーを差し込まないのに開いてしまう。何度か扉を閉めて実験をしたが、結局のところ、この客室のオートロックは作動していなかった。キーなしで誰でも自由に入れる状態だった。フロントに告げるとエンジニアがすぐに来て、修繕をした結果、とりあえず直ったようだった。
原因を尋ねると「ま、建て付けが悪いんですかね」といったのん気な返事をよこし、まるで反省の様子はない。こちらとしても、原因がわからない以上、直ったと言われても、それは一時的なものかも知れず、ああそうですかと安心するわけにはいかない。フロントに苦情を言うと、他の部屋を用意したいが、同じフロアは他の団体が到着する予定になっており、その団体には近い客室を用意したいから、別のフロアに移ってくれのこと。
客室の扉が故障しているという、あってはならない事態が起きているというのに、今後到着する団体の便宜を優先するという神経は信じがたい。たとえ心でそう段取りをつけていても、決して口にすべきではなかった。もし部屋から何かがなくなっていたら、大変な騒ぎになったところだ。今回は何もなくならなかったからいいようなものの、ことの重大さをきちんと考え、反省と善処してもらわなくては困る。危機感のないホテルというのは、恐ろしいものだ。
そうこうしているうちに、コンサート会場への迎えの車が到着した。とにかくオートロックが問題なく作動する他の客室へ、出掛けている間に荷物をすべて移動しておくように言い残して出発した。終演して戻ってみると、新しい客室には、以前の客室に置いてあったそっくり同じ位置に荷物が移動されており、その丁寧でパーフェクトな仕事振りには感激した。利用したデラックスツインはほぼ30平米の面積があり、アメリカンモダンな大型のファニチャーを中心にコーディネートされ、空間的にもゆとりのあるインターナショナルクラスの設えだ120センチ幅のベッドは羽毛布団を使い、大きなソファも使いやすい。
照明は個々に枕元にてオン/オフができる。冷蔵庫には各種飲み物が備わり、無料のドリップコーヒーやティーバッグなどが用意されているのがうれしい。しかし、使い終わったティーバッグを捨てる場所がなくてこまった。他のゲストもみな困っているのだろう、ミニバーの台の上にそのまま置いてしまうケースも多いのか、天板が腐食しかけている。小皿を一枚備えれば解決するのにもったいないと思った。またデスクには電話はおろか、モジュラージャックさえなく不便だったし、コンセントももう少し増やして欲しい。バスルームはタイル張りのユニットだが、アメニティは豊富に揃っていた。
ナイトテーブルに「痛くない整体」というポップスタンドが置いてあった。マッサージやエステティックの案内はよく目にするが、客室内で本格的な整体を受けられるのは珍しい。時間があればぜひ利用してみたかったが、残念ながら部屋に戻った時には営業を終了していた。また、レストランの終了時間も早く、このあたりにはファミレスすらないので、演奏会後にみんなで食事をする場所に困ってしまった。しかし、ホテルから数分のところに繁華街があるとのことで、みんな揃って歩いて出掛けてみた。すると、まるで屋台のような開放的な居酒屋があり、そこに入ることになった。そんな店ですらラストオーダー間際だったので、急いであれこれと注文して、半分歩道にはみ出した即席のテーブルで食事を楽しんだ。
翌朝の朝食は1階のレストラン「プリミエール」でとった。ブッフェスタイルで1,200円。ほとんど終了間際だったからか、品揃えはオーソドックスだが、ブッフェ台は乱れ放題で、まるで残飯整理の気分。店も狭く、清潔感にも乏しい雰囲気だったので、まったく食欲をそそらず、コーヒーとヨーグルトだけで済ませた。
チェックアウト時にも、昨晩の事件には触れられることもなく、「特に結構です」と終わってしまった。出発の時に、改めて一言詫びがあるかないかで、次回また利用するかどうかが決まることもある。チャンスを逃すのは簡単だが、悪いイメージを払拭するのは大変なことだ。これからはオートロックでも過信せずに、部屋を出るときは施錠を確認するクセをつけようと、心に誓いつつ出発した。
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