都心にいると、たとえ静かな環境に身をおいていたとしても、リラックスできないことがしばしばある。音のない空間でも、都会の振動がカラダを伝って神経を刺激する。そんな時は、湖畔の静かなホテルがいい。海辺もいいが、強く打ち寄せる波よりも、やさしく撫でるような湖の波の方が、とがった神経を鎮めてくれる。思い立ったのが残業の後でも、長距離トラックを縫うように東名を走り抜け、ひっそりとした箱根新道を一気に駆け上がれば、映画を一本見るよりも早く湖畔にたどり着くことができる。
この夜、遅い到着でも、ホテルは温かく迎えてくれた。車を停めると、警備員が近づいてきて、用向きを尋ねた。宿泊であることを告げると、荷物を持ちフロントへと引き継いでくれたが、ゲストに直接サービスをする警備員には初めてお目にかかった。しかも、本職のホテルスタッフ顔負けのホスピタリティを持っていることに驚かされた。フロントの対応もまた気持ちがよかった。夜であっても適度な明るさを保っており、快活で健康的な雰囲気だった。手渡されたルームキーには、真鍮でできたカードサイズのキーホルダーが付けられ、まぶしいほどに磨き上げられている。以前はカードキーシステムを採用していたが、通常の鍵を使うスタイルに戻した。確かの湖畔のやすらぎにも、その方がふさわしい。
今回は3階のスーペリアルームがアサインされた。天井高290センチ、扉の高さだけでも250センチもある。壁の汚れは相変わらずだが、年季を重ねたことで、全体に落ち着いた印象が深まり、汚れもその味のうちかと思えないこともない。夜はカーテンを開け放っても、湖面は真っ暗で何も見えはしない。その向こうにあるはずの山は尚のことだ。それでも、わずかに開く窓から入り込んでくるひんやりとした空気が、山に囲まれていることを感じさせてくれる。誰もいない露天風呂に浸かった後、音のない部屋に戻って窓の外を眺めていると、いいセレナーデの旋律が浮かんでくるようだった。
しかし、そんなくつろぎは束の間。真上の和室には子供連れのファミリーが滞在しているらしく、客室内で鬼ごっこでもしているのか、修羅場のような大騒ぎが始まった。よいこは寝る時間だというのに、リゾートではそれも許されているようだ。雰囲気も気分もぶち壊しの騒がしさだったが、こればかりは運が悪かったと思いあきらめた。
翌朝、早めに目覚めたら、大きな窓越しに広がる少し霧がかかった芦ノ湖を眺めながら大きく深呼吸をする。運がよければ富士山も顔を見せてくれるかもしれない。朝にも硫黄のにおいがほのかにする白濁した温泉に浸かってリフレッシュ。6,4平米の広さがあり、天井高さえ240センチもある立派なバスルームは結局ほとんど利用することはなかった。
館内にはあちこちに絵になる空間があり、それぞれの窓が風景を絵画のように切り取っている様子を見て歩くのも楽しい。短い滞在でも十分に気分を洗い流してくれるホテルだ。
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