1992.05.03
古い街並みのようなホテル
「フランドール」ホテルフランクス
楽-1

個性的なホテルがひしめく幕張メッセ付近で、メルヘンチックな外観で目を引くホテルフランクスだが、残念ながら宿泊のチャンスにはなかなか恵まれない。隣りにはマンハッタンがあり、じきにニューオータニが目の前にオープンするから、競争の激化は必至だ。

それを意識してか、メディカルクラブを付帯したり、多目的に利用できる個性的な宴会場があったりと他のホテルとの差別化を狙っているようだ。ところが、肝心の客室はビジネスユースを強く見込んでか、とてもオーソドックスな様子で、わざわざ泊まってみようという気にはならない。絨毯敷きのロビーにはマントルピースを中心に様々なソファーが並んでいるが、少々アンバランスな感じ。

最上階エグゼクティブフロア用のロビーとフロントは、完全に別の所に作られているようだ。2階にはイタリア料理と中国料理を同時に味わえるというコンセプトの店があるが、ちょっと無理があるような印象だった。地階にはジャズライヴのバーがあるが、こちらもいつまで続くのか心配。14階には2層吹き抜けになったメインダイニング「フランドール」がありもっとも“フツウ”そうに見えたので、ここで食事をすることにした。

店内に入ってすぐの所はバーコーナーになっていて、その奥に開放的なダイニングが広がっている。ラウンドトップの大きな窓にベージュのカーテンが装飾的に掛けられており華やかな感じ。15階のスイートフロアから店内に直接降りてくる階段が設置されていて、レストランウエディングの際には演出効果が高いだろう。

昼間はコースが2種類あって、今回は2,500円のコースを注文した。料理は値段の割に貧弱な気がしたが、味は悪くない。また、女性中心のサービスはやさしく丁寧で気持ちがよかった。ただ、ワインのサービスはやはりプロにお願いしたいものだと思った。知識が不足している上に、扱いにも慣れていなかったので、見ていて不安だった。

1992.05.04
偶然の再会
中国料理「翡翠宮」シェラトングランデトーキョーベイホテル&タワーズ
喜-4

周辺道路はディズニーランドに向かう車で非常に混雑をしていた。ホテル内も予測通り、ロビーは子供たちに占拠され運動場になっていた。ところがレストランは、デザートブッフェを行っている「ベルベディアラウンジ」を除いてはどこも比較的空いていた。洋食続きだったので中国料理でも食べようと思い「翠泉宮」に入った。客層はおじいちゃんやおばあちゃんを伴なった家族連れが中心で、一グループ5〜6人で来ているお客さんが多かった。

その中にスーツを着込んだ外国人とキャリアウーマン風の女性が一緒に食事をしている席があった。連休にビジネス客とは珍しいと思ってよく見ると、総支配人とタワーズマネージャーが二人で食事をしてるのだった。挨拶でもと思い近づいていく途中で二人はぼくに気付き、にっこり笑って「まぁ、お懐かしいわ!」と再会を喜んでくれた。開業当時はよく利用していたが、ここ1年ほどは来る機会がなかった。理由は料金は高くなっていくのに、サービスがどんどん削られていくのが不満だったことと、都内により魅力的で親しみを感じるホテルを見つけてしまったからだった。

一晩に二軒のホテルには泊まれないから、よそがよくなればその分利用頻度は下がる。ほんの数分だがお二人とお話をして、このホテルをよく利用していた時の気分がよみがえってきた。食後はぜひタワーズラウンジに寄ってくつろいでいってほしい、バトラーのみんなも喜ぶと思う、と言ってくれた。

「翠泉宮」の中国料理は、値段の割にはたいしたことのない印象だった。3,000円のコースで、小皿の前菜、春巻、トマト風味のスープ、豚肉の炒め、牛肉とブロッコリーの煮物、アーモンドゼリーという品構成だ。せいぜい2,300円くらいの内容だと思う。

食後はお言葉に甘えて11階のタワーズラウンジにおじゃました。チェックアウトタイムからチェックインタイムの間で、一番お客さんの少ない時間だったためか、とても静かだった。バトラーの顔ぶれもあまり変わらず懐かしかった。ディズニーランドは入場制限中で、階下も多くの人でごった返している時に、ゆったりとくつろぎながらコーヒーをいただいて、とても快適だった。

コーヒー一杯で客を取り戻すことができるのなら、こんな安上がりのことはないが、この時のタワーズマネージャーにはそんな打算はなく、久しぶりに会えたことに対し、純粋に人間的な感覚で応えただけだったような気がする。帰り際には、「今度お泊りの時は私の直通電話へ」と番号を教えてもらった。またの滞在が楽しみだ。

Y.K.